高井鴻山について

高井鴻山

高井鴻山(文化3年〜明治16年/1806〜1883年)

高井鴻山は、幕末維新の激動期に、その時局の変化に対応しつつ、陽明学の教えを知行合一の精神で「国利民福」の信条ををつらぬいた人です。

15歳から16年間、京都や江戸への遊学で、各界第一人者から多彩な学問や芸術を修め、自由で幅広い人脈を築いた鴻山は、父の死により高井家の当主となってからも、学問思想に情熱を傾け、佐久間象山をはじめ当時の日本史を彩った思想家や文人たちとの交流において、鴻山もまた日本の行く末を憂い、巨万の財力を惜しみなく使い幕末の変革に関わったとされています。

また、江戸の浮世絵師葛飾北斎など多くの文人墨客を招き、小布施を文化の香り高い地に育み、飢饉には窮民を救い、維新では教育立県を強調し、東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念しました。

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