鴻山の書斎「翛然楼」に隣接し、文庫蔵として使用されていたものです
鴻山は京都や江戸での修学時代はもとより、小布施に帰ってからも書物の収集に務め、学問に励みました。鴻山の収書は、国学・漢学をはじめ、蘭学・歴史・地理・化学・本草学・生理学・天文学・数学等、学問のあらゆる分野にわたっています。文庫蔵は鴻山の書斎「翛然楼」に隣接し、文庫蔵として使用されていたものです。ここには、万巻の書物が満たされていたと伝えられていますが、明治11年の火災屋その他の事情で、一部を残して散逸しました。