福島正則の霊廟

福島正則の霊廟

福島正則は尾張国二ツ寺村(愛知県美和町)に生まれ、加藤清正とともに豊臣秀吉の重臣として、賤ヶ岳の戦いでは「七本槍の第一」と称せられ、関が原の合戦では徳川家康に味方し、安芸・備後二国で498,000石を領する大大名となりました。
元和5年(1619年)広島城の石垣修築が武家諸法度にふれたとして、信州中島の内20,000万石、越後魚沼郡25,000石、計45,000石に減封(国替え)となりました。

高井野村(高山村堀之内)に屋敷を構えた正則は松川の治水事業などに取り組みましたが、寛永元年(1624年)7月13日、64歳でこの世を去りました。その際幕府検死役を待たずに遺体を火葬したとして領地は没収されました。
正則は仏教を深く信仰し、岩松院を菩提寺として定めて海福寺の寺号をつけました。

福島正則の霊廟

墓は高さ2.5メートルの五輪塔。台石に「海福寺殿前相公月翁正印大居士」の戒名が刻まれています。

福島正則の霊廟
Copyright © 2006 小布施散策ガイド〜栗の町で歴史にふれる〜. All rights reserved